『死ぬまで生きる日記』は、共感するところ、なるほどと気づかされることがたくさんある1冊だった。極めて個人的な話でありながら、読み手であるわたしに「自分のことが書いてある」と思わされる不思議な強さを持っている。
著者の土門蘭さんは、毎日のように「死にたい」と思いながら生きてきたそうだ。それをどうにかしたくて始めた、オンラインカウンセリング。本書はそのカウンセリングを通して変わってゆく土門さんの記録である。
芥川龍之介の遺書に書かれた「唯ぼんやりとした不安」に共感を覚えるエピソードが、身に覚えがありすぎて驚いた。まさにこう表現するしかない不安に襲われることがわたしにもよくある。文豪の的確な表現力には脱帽するばかりだ。
「そうです。解決しようとしない。自分はこのままでいいのだと、受け入れるんです」
p100
今まさに、わたしは「あきらめる」をやりたいと考えているところで、そのままの自分を受け入れることが課題であるから、この話題が出たときは思わず前のめりになった。
「変わろうとし続けてきたのがRさんなのだとしたら、変わるのをやめるのってとても大きな変化だと思いますが、どうですか?」
p100
そのままの自分を受け入れるというのは非常に困難で、うまくいかず悩んでいたから、何かヒントがあればと思いながらページをめくった。
その問いに対する明確な答えは提示されていなかったけど、その後を読み進めていきながら、わたしはわたしに「あなたはどうしたい?」と問いかけ続けていた。
9章まで読み進めて一旦休憩を、と本を置いたとき、本の内容を咀嚼しながら自分と向き合いたいと強く思った。居ても立っても居られなくなり、散歩に出かけた。
降りしきる雨の中、傘を片手に歩きながら考える。
「自分の心の穴は、自分にしか埋めることはできません。その穴を埋めるには、まず形を確かめないといけないんです」
p130
本書の中での、カウンセラーの本田さんの言葉だ。
わたしにはわたしの穴がある。それは確かに感じている。でも、その穴の形はいまだに把握できていない。近づこうとしても、モヤがかかって見えなくなってしまうような感覚がある。
それでも、その穴の正体をわたしは知りたい。
土門さんにとっての救いが「書く」ことだったように、わたしにも何か救いとなるものがあるのだろうか?
そんな問いを持ちながらこの本を読んでいく中で、最後にひとつだけわかったことがある。
それは、土門さんにとっての救いである「書く」ことは、わたしにとっては全く逆かもしれないということだ。
わたしは「書く」ことを自分に課している。こうして読んだ本の感想を書くことも、「そうしないとお前には価値がない」と思っているからではないか?
そんな思いが湧いて出たとき、まさかと思った。わたしは好きで書いているはずだ。そう自分に言い聞かせてきたのに、もしかすると本当のわたしは「書く」ことを望んでいないかもしれない。
これは突発的に湧いた気持ちであるから、本当のところはまだわからない。今後、やっぱり好きだと思い直すかもしれないし、文章を書くこと以外で自分を許す必要が出てくるかもしれない。
どちらにせよ、この『死ぬまで生きる日記』は、わたしに大きな問いを与えてくれた。わたしはこれから、わたしの穴と向き合ってその形を知りたい。そして、そのままの自分を受け入れたい。いつかくるその日まで、この本を傍に置いて何度も読み返すことになると思う。

