仕事で若者と接する機会の多い夫が読んで、ぜひわたしにもとすすめてくれた1冊。
わたしは30代前半ですが、この本に出てくる「若者」には共感する部分といまいち理解できない部分とが半々といったところでした。
まだ若者に近い気持ちを持っている、若者ではない人間。そんなわたし目線でこの本の感想を書いてみたいと思います。
わたしが本書で最も印象深かったのは、「自分の範囲内で生きることで幸せを感じる」という部分。現代の若者たちにとって「努力」とはネガティブワードとなっているらしい。
努力とは才能や環境に恵まれた人がするもの
p113
若者の間には、がんばっても無駄という「諦念感」が蔓延している。努力しても報われない、生まれたときからある程度定められているものがあって、それに抗う努力は無駄。そんな考え方を持つ若者が多いといいます。
人生は生まれた環境や才能次第だから、いくらたがんばっても意味がない、ということ。自分には縁がないと思っているということでしょう。
もちろん、世界で活躍する若者はいます。しかし、そうした輝かしい人々は上位の存在で、もともとすごい人だから、という見方になるらしい。彼らを見て「自分もがんばろう」とはならず、「すごいなあ、もともと持ってるものがちがうんだな」となるということです。
この「諦念」というものがあるかないかは、自分と明確に差があるなと思います。わたしは活躍する同世代を見て焦るタイプだから。同じくらいの人生を生きてきた人間が何か得意分野でその能力を開花させているのを見ると「わたしもがんばらなければ」「彼らに追いつかなきゃ」と激しい焦燥感に駆られてしまいます。
だから、現代の若者が持つ諦めの感覚はわたしにとってうらやましいものです。ある意味で自他境界がはっきりしているというか、隣の芝生は青い、だからなにか?という感じなのでしょうか。
きっとその諦念感の背景には、そう割り切らないと生きていけないという切実なものもあるのかもしれません。諦めて、輝かしい世界は自分には縁がないと距離を置く。そうすることは自分を守ることにつながる。
抜きん出た特別な人でない限り、そうして最初から諦めて生きていく。この情報社会で、他人の人生をイヤでも覗き見せざるを得ない状況では、諦めることは一種の自己防衛なのかもしれません。
もう一度言いますが、わたしはその感覚が心底羨ましい。諦めることができたらラクなのに、と思うことが人生には多すぎるから。他人を見て羨むことほど不毛なことはない。そういう意味で、わたしは若者から学ぶこともあるのかもしれません。
蛇足ですが、本書でくすっと笑った部分を紹介したいと思います。
漠然とした不安感を理屈だけで完全に払拭することはできない。
p61
わたしはよく漠然とした不安感を抱える人間なので、この一文にはついニヤリとしてしまいました。確かに、「不安は感情であって論理ではない」。わたしはいつも自分の不安に対して論理でなだめようとしていたな〜、と思わぬところでぐさりと刺された気分。
本書では、フォーカスする対象を「不安」から「漠然」の方に置いてみようとしている。なるほどわたしも、今後そのような問題に直面したときはそのアプローチを試してみよう。そう思ったのでした。
若者は、いつの時代も「よくわからない対象」として見られていると思います。実際、仕事で若者と接する夫はその世代間ギャップに苦労しているようです(年齢は10と少しほどしか変わらないのですが)。
若者のことはよくわからないな、と切り捨ててしまうのは簡単だけれど、彼らが育ってきた背景を知ることで歩み寄ることはできる。若者について知ることは時代を知ることでもあると、本書を読んで痛感しました。

