「自分で決める」ことは、自分を尊重すること

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夫が出張でいない日が続いています。今週2泊3日で家を空けたのだけど、来週も同じ期間の出張を控えています。

その間に問題になるのが、犬の散歩。夫がいるときは彼が行なってくれています。うちの子はトイレを家の中でしたがらないので、散歩は朝晩行く必要があり、夫が留守にするということはわたしがその役目を担わなければならないということ。

やらなければいけないことは散歩に行く、たったそれだけのことだけど、体調が不安定なわたしにとってはそれすらも大きな負担になったりします。

今週の2泊3日はなんとか乗り切ったけれど、来週もとなるとちょっと苦しい。そこで調べてみたところ、ペットシッターなるサービスがあることを知りました。

ペットホテルと違い、家に来てペットの世話を代行してくれるサービス。散歩のみの利用も可能とのことで、夫の留守中に利用してみようかと考えました。

問い合わせてみたところ、利用料は交通費なども含めるとまあまあな金額。そこで少しビビってしまい、夫に相談しました。

「これくらいの金額がかかるんだけど、どうかな?」「頼むべきかどうしようか?」などとたずねるわたしに、夫は言います。

「自分で決めていいよ、決めてほしい」

そう言われて、最初は不満に思いました。自分で決められないからたずねているのに、と。でも少し考えてみて、2週連続の夫の不在は自分にとって大きなストレスになること、だから外部のサービスに頼ることは良い選択であるだろうという結論に自力でたどり着き、ペットシッターを利用することに決めたと夫に報告しました。

夫は、わたしが「自分で決めたこと」を褒めてくれて、わたしの決断を尊重してくれました。そこで、わたしは普段自分で思っている以上に「決める」という行為から逃げていることに気づいたのです。


生活の中で、決めるべきことが現れたとき。わたしは、いつもそばにいる夫に「これはどうしたらいいと思う?」「どっちを選んだらいいかな?」と尋ねることがよくあります。

それが2人の問題なら、それでいいしそうするべきだと思います。でもわたしは、いつしかわたし自身の問題ですら夫に決断を委ねるようになっていました。例えば、頭が痛いとき。頓服を飲むかどうかすら、夫に「薬を飲んでもいいだろうか」と問うてしまいます。自分の体調のことは自分にしかわからないのに、です。

「決める」という行為は、莫大なエネルギーを使います。なにか1つ決めるだけでわたしはとても疲れる。それになにより、大きな責任を伴います。自分で決めてしまうと、それによって起きるすべての事象は自分の責任になってしまう。

だからわたしは、「自分で決める」ことを避けていたのです。自信がなくて、自分の判断に信用が持てなかった。


今回のペットシッターの件で、意識的に「自分で決める」という行為を行なってわかったことがあります。それは、「自分のことは自分で決めていい」ということ。

言葉にすると「何を当たり前のことを」という気づきですが、わたしにとってそれは晴天の霹靂だったのです。そうか、わたしはわたしのことを決めていいんだ、って。

確かに、決めることで責任は伴います。でも、自分のことは自分が責任を負うべきなのです。そしてなにより、自分で決めることでその結果起きることに納得できるようになります。

以前ネットで見かけたこんな話があります。「自己肯定感を上げたければ、今この瞬間からすべてのことを自分で決めろ」。この言葉を最初に目にしたとき、わたしは真意を測りかねました。でも、今回「自分で決める」をやってみて少しだけその効能がわかった気がします。

「自分で決める」ことは、自分で自分を尊重してあげることになる。逆に自分で決めることを放棄していつも選択を他人に委ねていると、「自分には自分のことを決める価値すらない」という思考になるのではないでしょうか。

1度できたからといって、今すぐすべてのことを自分で決められるようになるわけではありません。きっとこれからもわたしは夫に「どうしたらいいかな?」とたずねてしまうと思います。でも、今回の件はわたしにとって良い経験となったと感じています。

いつか「自分のことは自分で決める」が今よりもできるようになったとき、わたしは自分で自分を尊重できる人間になっているはずです。そのときがきと来ると信じて、少しずつ「決める」をやっていってみます。

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