「誰かに大事にされたい」わたしが「1人でも大丈夫になりたい」と思うまで

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ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」を最終話まで観終えました。

その中で、わたしの心に残ったセリフがあります。

「1人でも大丈夫になりたい? 誰かに大事にされたい?」

この言葉を聞いたわたしは、自分はどちらだろうと思いを馳せました。


学生時代から思っていたのは、誰かに養われたいということ。高校生だったころから、いつか結婚して専業主婦になる、そうして悠々自適な生活を送りたい、なんてことを考えていました。

その考えはしばらく変わらず、大学で今の夫と出会って結婚して、わたしは働かずとも大丈夫な生活を送らせてもらっています。

でも、いざ自分が望んだ生活を手に入れてみると、どこか満たされない気持ちがあることに気づきました。

専業主婦として過ごすということは、居場所が家しかないということ。わたしには、認めてくれる人が夫1人しかいないのです。

大事な人が自分を認めている。それだけで充分だとも思います。だけど、わたしは満足できなかった。

社会というものから隔絶されて、家庭という狭い世界だけで生きることが、どうしてもつらかった。

専業主婦を夢見ていたことが間違いだったとは思いません。ただ、実際にやってみないとわからないことがあるという話です。

「誰かに大事にされる」生活をやってみて初めて、わたしはひとりで生きる力がほしいんだと気づいたんです。


今は健康上の理由で外に勤めに出ることはできません。結婚してすぐのころは、無理にアルバイトを始めてすぐに辞めてしまうということをやってしまっていましたが、今は自分の限界を知ってこうして家で静かに過ごしています。

でも、「誰かに大事にされる」だけでは満たされないことがわかって、何かしらの形で自己実現をしたいと思っています。

だからわたしはこうやって文章を書いてネットにアップする。この活動も、家以外の居場所を作るための行動の1つです。

今のわたしは、社会の中の居場所はありません。でも、社会というものに入りたいと思っている。そのためにできることは何か、考えている最中です。


「1人でも大丈夫になりたい? 誰かに大事にされたい?」という質問へは、はっきりどちらと答えることはできません。

でも、「誰かに大事にされる」だけでは満たされないのは事実です。

理想を述べるなら、夫に大事にされながら自己実現すること。夢見がちだと笑われそうですが、今のわたしの望む生活はこれなんだと思います。

大事にされながら、1人でも大丈夫になる。欲張りだけど、今のわたしはそんな状態を目指すことにします。

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