文章は「ねえ、聞いて聞いて!」の精神で書いている

当ページのリンクには広告が含まれています。

日々インターネットに文章を書いている。

わたしが生活の中で「書きたいな」と思ったことを何でも書くから、内容には一貫性がない。だが1つだけ、書く上でこれは意識しようと決めていることがある。

「ねえ、聞いて聞いて!」という精神で書く、ということだ。


わたしが文章を書くときに最も苦手とするのが、読み手を想像する、ということだった。

文章を書いていると、特にブログなどインターネットに上げるものは誰が読んでくれるのかまったく見えない。

そのせいで、キーボードを叩きながら虚空に向かって書いているような気持ちになるときがある。

読み手が見えない文章を書くとき、しばしば「誰に向かって書いているんだろう」とわからなくなってしまっていたのだ。

読んでくれる相手が想像できないと、文章は掴みどころがないものになる。何となく書き上げたはいいものの、どこかふわふわとしていて「これは結局何が言いたいの?」という仕上がりになることが往々としてあった。

だから、あるときから、勝手に読み手を想定するようにした。


現実のわたしはよく、夫を相手にべらべらとくっちゃべっている。その日やったこと、考えたこと、おもしろかったこと。夜、仕事から帰ってきた彼に向かってそれらを話して聞かせるのがわたしの日課だ。

そうだ、文章でもこれをやればいいじゃないかと気づいた。

そもそもわたしが文章を書くのは、話を聞いてほしいからなんじゃないか。日々生きていく中で「これを書きたいな」と思うのは、「これを誰かに聞いてほしいな」と同義だ。そうじゃなきゃ文章なんて書いていないだろう。


「ねえ、聞いて聞いて!」というスタンスで書くようになってから、文章に軸が通ったような気がしている。何も考えずに書いたときと比べて、伝えたいことがはっきりするのだ。

話を聞いてくれる人物は、わたしが今から話す内容についてまったく知らない。その状態の相手にどう説明したら、わたしの話したいことがきちんと伝わるか。そう考えながら書くことで、破綻のない文章になる。

何より、わたし自身が書きやすいと感じている。

「文章を書くぞ」と思うと、どうしても気取ってしまう質だ。言葉をこねくり回してどうにか「良い」もの書こうとしてしまい、その結果何を言いたいのかよくわからない代物が完成してしまう。

それが、1人の相手に伝わるように、話を聞いてもらうように書くと、変な見栄よりもわかりやすさを優先させられる。文章は、上手い下手以前に、伝わらないと意味がないよね。


わたしが話し相手として主に想定するのは、夫だ。実際によく話を聞いてもらっているから、自然と語りかけることができる。

書きたい内容によっては友人を思い浮かべることもあるし、時には自分自身に向けて語ることもある。

聞いて聞いてと話しかける相手は誰でもいい。大事なのは1人に決めることだ。

インターネットに書いた文章は、不特定多数の人物に読まれる。そういう性質を持っている。しかし、だからといって「誰か」「みんな」に向けて書いてしまうと、途端にぼやけてしまう。

特定の1人に向けて書いた方が、届くのだ。

世の中に文章術は数あれど、わたしにとってテクニックをいくつも意識しながら書くのは難しい。あれもこれも気をつけなければ、という状態でキーボードに向かうと、手が動かなくなってしまう。

だから最低限、「ねえ、聞いて聞いて!」という精神だけを持ち続けることにした。今のところ、これだけでわたしの文章は何とか機能している(と信じたい)。

今回のこの文章も、「ねえ聞いて、わたしは今こんなことを考えているんだ」と話すつもりで書いた。言いたいことが伝わっていれば幸いである。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

  • URLをコピーしました!