つい最近、Twitter(※)のアカウントを新設しました。ただし鍵をかけて完全非公開の状態で。この試み、自分にとって良い作用がけっこうあったのでご報告をば。
※現X。この表記だとわかりづらいので、本記事内ではTwitterで通させていただきます。
わざわざ鍵アカをつくった理由
まずは鍵アカをつくるまでの経緯について軽く触れます。必要に迫られて、というのが1番近い表現かと。
ネット上でも人目を気にしている
このブログを始めたのが約6年前。必死で文章を書いては公開してきました。その流れで、Twitterもなんとなくやった方がいいかな〜とアカウントを開設。ポツポツとつぶやいていました。
でも実は、Twitter…というかSNSには苦手意識があって。わたしにとっては、ネットも現実世界と同じ「公の場」という感覚があります。だからネットで発言するときも、常に人の目を気にしていました。もちろん誰でもある程度の慎みを持って発言していると思うけれど、わたしのそれは明らかに過剰なものです。
ここでの人の目というのは特定の誰かというわけではなく、わたしの想像上の「みんな」、不特定多数の誰かのこと。例えばTwitterなどのSNSなら、何か書き込むときは他人からの反応が気になって仕方ないんです。それは叩かれるのが怖いという意味ではなくて、むしろ「反応がほしい」という強い承認欲求の方。毎度毎度そんな気持ちになるのは途方もなく疲れることだし、発言内容も人の目を意識したものに徐々に変わっていたと思います。
そんなわたしでも、ブログは継続して更新できていました。理由は単純、SNSと比べて人からのリアクションがほとんどない媒体だから。そんな感じで書き続けていたブログだったけれど、生活環境の変化などいくつかの要因によって更新頻度は落ち、ついにはストップ。
一度リズムを崩すと、もう一度継続し始めるのはとても困難なこと。ここ3年ほど、何とか戻ってこようとしてはまたフェードアウトするというサイクルを繰り返していました。
文章を公開するリハビリ場所がほしい
先述したように、ネット上という公の場に文章を公開するのは、たとえTwitterでの些細なつぶやきだとしてもハードルを感じるわたし。ブログも一度感覚が鈍ってしまってからは、「ちゃんとしたことを書かないと」みたいな変なプレッシャーを感じて再開のハードルを自ら上げていました。
その結果、何か書いてみてもよそ行きの文章が生まれて、とてもつまらないものができあがってしまう。
それでもわたしには文章を書きたいという欲求と、せっかく書いたならそれを公開したいという思いがありました。何かよい策はないかと考えた結果「人の目が気になるなら人が見ていない場所で公開すればいいのでは?」という(矛盾した)考えに至り、Twitterの鍵アカウントを作ろうと思いついたのでした。そのような環境なら、ネットに文章を公開するリハビリとしても有効そうだしね。
鍵アカの運用方法
たぶん、鍵アカというものを作ったのはこれが初めてなはず。どうせネットに書くのに公開しないなんてもったいなくない?みたいな謎の気持ちがあったからなあ…。でも今回は完全非公開。最初から鍵をかけているので、本当にだ〜れも見ていないです。
そんなわたしの鍵アカ運用には、ゆるいルールを設けました。苦痛なしに続けるために必要だと思うものをほんの少しだけ。
①フォロー・フォロワーともに0人を保つ
鍵アカのフォロワーは0人、万が一誰かからフォロリクがあってももちろん許可しません。あくまでわたし1人の場所をキープします。フォローも基本的にはしないのでタイムラインをみても自分のつぶやきしか流れてないです。人のツイートは他のアカウントで見てるからいいかな、という感じ。
結果的に、ネット上なのにわたし1人しかいない完全プライベート空間が出来上がっています。なんだか不思議な感覚。
②活動記録としての役割をもたせる
ハードルを設けずに書き込めるようになったら得られる利点として、書いたものたちがそのまま自分の活動記録になるというのがあります。これはわたしがずーっとやりたくて、でもできてないこと。
広く浅くな人間なもので、自分のまとまりのなさに「わたしは一体何をしているんだろう?」とよくわからなくなることが結構な頻度であって。1つの場所に全部書いていくことで、自分で自分を知るみたいな効果もあったらいいな…と考えていました。
だからこのアカウントでは、「書きたい」と思ったことをなるべく全部書こう!と。その結果どんなものが出来上がるか、それを楽しみに続けられるという動機づけの意味もありました。
得られた効果
アカウント開設からしばらく使ってみた結果、これは今の自分にとって必要なものだったなと。けっこう楽しく付き合えていていい感じです。
文章を書くハードルが下がった
鍵アカを作った1番の目的である「文章を書くハードルを下げる」はバッチリ達成できました! ネットに文章を公開するリハビリ場所としての機能をきちんとこなしてくれています。最初は恐る恐る、次第に楽しくなって、今では毎日必ず何かしらをつぶやいている状態。正直、自分でもこんなに続くとは思ってなかった。
誰も見ていないということは、当たり前だけど他人のリアクションを全く気にしなくて済むということ。わたしがSNSを苦手に感じる理由として「反応を気にしてしまって疲れる」というのが大きいので、リハビリにおいてやっぱりこれは大事でした。
リアクションがほぼないという点で、いきなりブログでリハビリという選択肢もありました。けれど、最初の一歩としてTwitterの鍵アカを選んで正解だったと思っています。ブログほど「残る」ことを意識しなくていい気楽さ、短文で済む手軽さが今のわたしには必要な条件でした。
1本の軸が通った
「活動記録を残す」という運用ルールのおかげで、自分に1本の軸が通ったような感覚があります。そんな大層なものではないけれど、生活の中でやったこと、考えたこと、その成果…わたしを構成する要素を並べていってるというか。
前々からやりたいと思っていたTwitterの使い方がやっとできていて、それが何よりうれしい。
わたしは「つくる」という行為が好きです。文章を書いたりお絵かきしたり、最近だと服も作り始めて、その内容は良く言えば幅広い、悪く言えばふらふらしている。この道一筋は性に合わない人間で、それがコンプレックスでもありました。でもそれらの記録を一カ所(Twitter)だけに集中することで、一貫性のないわたしの活動にも軸が通せたように感じています。「よくわからないけど、これがわたしです」って言える感じ。
おわりに
わたし史上最もうまくSNSと付き合えているな〜と思っていたけど、よくよく考えると本来のSNSらしい使い方はしていないので、これをうまい付き合いと言っていいかは微妙だな…と書いていて気づきましたね。外に出てるんだか引きこもってるんだかわからない。
まあでもよいのです。楽しいから。
もしかすると、これからしばらく続けた後に「リハビリ期間が終わった」と感じて鍵を外す日が来るかもしれない。そのときはあたたかい目で迎えてやってください。