「日記」ブームが静かに、しかし確かに熱をもって訪れているのを感じる。エッセイを好んで読むわたしは日記文学も当然好きで、最近のブームで良質な日記が本やネットで数多く読めることに幸せを感じている。
そんな日記本の中でも、『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』は特別に気に入っている一冊だ。
生活を書き出す日記本
本書はデイリーポータルZのライター・古賀及子さんがブログに綴ってきた日記を集めたもの。実はわたし、本になるずっと前からの読者です(どや)。
もともとデイリーで記事を読んでいて、何気なく見たプロフィール欄から日記へ飛んだのが最初だったと記憶している。
語弊を恐れずに言うと、古賀さんの書く日記はちゃんと「ただの日記」だ。いつもの日々の中で起きたことを描写しているという点で、日記として正統派なんじゃないかなと思う。
でもここには、古賀及子さんと息子さん娘さんの生活がたしかにある。しっかりと地面に足をつけて佇んでいて、読んでいるとその息づかいがじんわりと沁みてくる。
事件は何も起きないし、ちょうどコロナ禍の頃に書かれているんだけどそれについての意見とか何もない。ただ「マスクが高かった」とか「仕事がリモートで」とかそういう事実だけ。それがすごく心地いい。
コロナの話題は避けて通れないみたいになっていて、でも少なくともわたしは本を読んでいるときまで現実すぎる現実に目を向けるのはしんどい。コロナ禍で送られる生活、その生活部分になら興味があるから、しんどくならなかった。なんなら安心さえした。あのひどい現実の中で、それでも人は生活をやってたんだよなと思った。
”ふつう”の生活を書いているけど、古賀さんの日記は特別でもあるのだ。矛盾しているようだが、独特の言葉選びや気持ち良いリズムがそうさせているんじゃないかと感じている。
古賀及子流・日記の書き方について
ところで、古賀及子さんが日記について仰っていた言葉で、個人的に大切にとっておいているものが2つある。
- 5秒のことを200字かけて書く
- 感想禁止
Twitterに書かれていたものが以下。
趣味の押し付けと思いつつ、子らには「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと良い」と布教していたら、娘が“靴下をはいた状態で玄関に立ちサンダルと靴どちらを履こうか悩んだ”ことを日記に書いて習い事に提出していてさすがに私好みすぎてしまった。
— 古賀及子(こがちかこ) (@eatmorecakes) May 10, 2021
日記を書くとき行き詰ったら「感想禁止」にして見たものをそのまま書くだけにしてみるとちょっと良くなるというの、イメージとしては出来事をただ吊るして飾るみたいな感じで、すると風を受けて日に照らされて勝手に光って美しいみたいな。
— 古賀及子(こがちかこ) (@eatmorecakes) February 19, 2024
こういったポイントを押さえて古賀さんの日記は書かれているんだ、と知った状態で読むとまた趣深い。なるほど過剰に感情を書くことはされてないなとか、ちょっとしたことを細かく描写しているなとか、表現自体もおもしろく読めてたいへん良い。
自分も日記を書いてネットで公開している人間だけど、油断すると一日のはじめから事細かにすべてのことを書こうとしてしまう。日記に間違いはないから別にそれでもいいんだけど、読み返したとき自分でもおもしろくないなと感じる。
わたしは古賀さんの日記にかなり影響を受けているので、正直に告白すると最近はこの2つを意識している部分がでかい。
読みながら思わずメモしたところ
なんとなく心が吸い寄せられる文がたまにあって、そういうのをメモしながら読んだ。せっかくだから、最後にその中から5つほど紹介させていただこう。
外に出ると過去を思い出すし家では見られないものが見られる
p88
▲いつも家にこもっているわたしも、たまに外に出ると似たようなことを思う。家の中って自分で選んだものしかないからモノはあっても刺激はないんだよね。外には色も形も音も匂いもあらゆる情報がある。
セブンイレブンでカスクートを買わなかった人生から買う人生、人生が変わるとはこういうことだと思う。
p153
▲大きな決断をするときよりも、いつもの道からほんの半歩だけ踏み出すときの方が人生の変わり目を感じる。
兄妹は街の自動販売機で見覚えのない飲み物だとおもしろがって買ったところ、えっなにこれうまい苦汁発見!と笑いが止まらず帰ってきたんだそうだ。
p164
▲これは思わず笑ってしまったのでメモした部分。トニックウォーターについて苦汁と表現するんだ……という驚き。
こういう「私以外の誰かの仕業」があるとき、強烈に複数人で同居しているのを感じる。
p173
▲この一文が本書で最も共感して、そして気に入っている部分かもしれない。わかる〜! ってひとりでうんうん頷いた。
わたしは別に大家族育ちではないし、かといって一人っ子でもない(両親・弟との4人家族)。でも実家にいた頃は「誰かの仕業」が確かにあったなあと(具体例は咄嗟に思い出せないけど)思う。
一人暮らしを始めてからは家の中で起きることはすべて自分が関わっている状態になった。そして現在の2人暮らしでも自分の仕業でなければあとは1人しかいないので不明瞭さがない。
3人以上の暮らしにしかない感覚を見事に言語化していて唸った。
考えてみれば、お給料をもらう仕事というのは決定することそのものじゃないか。決定するかわりにお金がもらえる。多くの決定をする人ほど仕事ができると頼もしく感じる。
p268
▲「人は決定に体力を使いストレスを感じる」という論につづく言葉。選択疲れとはよく耳にするし、スティーブ・ジョブズが同じ服を云々はもうみんな耳タコだろうが、事実そうだよなあと思う。
古賀さんによる「仕事」の定義だなこれは。決定は疲れるからお金がもらえるんだと思うと納得感が強い。
おわりに
日記はこの世で1番プライベートな文章だ。だからこそ、人は人の日記を読みたいと思うのだろう。
わたしは日記を読むという行為を通して、古賀及子さんという1人の人間を近くに感じた。住む場所は遠く離れているけれど、東京で今日もたしかに生活している人がいる、と思いを馳せられる。
そんな体験をもたらしてくれた本書は、わたしにとってやはりふつうで特別だ。